knock on wood

日々の記録帳

2023/8/5

昨夜は結局、日帰り温泉に行き、日暮れの中の露天風呂でのんびり。軽くマッサージも受けてから、迷った末に「怪物」をレイトショーで観て帰ってきた。
迷った理由は時間が遅いことと、この映画(怪物)観るに堪える心身状態だろうか?ということ。この映画の予告編もほとんど観ず、紹介記事も読まず、いつもなら先に読んでしまうネタバレ記事、ブログなども読むのを控えていたので、正直何の情報もないのだけど、何故かこの映画から受ける『ダメージが大きい』と思い込んでいた。そして今もって昨日のことをずっと考える程度には影響が大きかったので、間違ってもいなかったかなと思う。
怪物の解釈、正解、意図したところを知りたいという気持ちと、知ってどうするという気持ちと両方あるが、好奇心には負けてしまい、いろんな方の感想記事やインタビュー、解説動画まで見てしまった。※新しい情報は得られなかったけど。
映画は一定期間の出来事を、主に母親目線、教師目線、子供目線に分けて描かれている。話が進むうちに観ている我々は、驚いたり絶望したり、あの時本当はこういうことが起きていたのかとわかるけれど、彼らは最後まで真実を知ることができない。けれど、子供たちのパートのそれが真実か?と言われると、実際に起きていたことではあれど、人によって真実は違うなと思ってしまった。事実なんでどうでもよくて、それぞれの中で「これが真実だ」というものがあり、世間はその真実でできている。その世間とは、同じ真実を共有する人間は少なくて、とても狭い世界であることが多いけど、人間が生きていくには十分なのだろう。誰かひとり同じ真実を信じてくれる人がいれば生きていける。多分そう思う。
映画や物語の世界に自分を投影することは多いと思う。怪物を観る場合もどの目線で観るかで印象は変わるし、話が見えてきてもなお、なんとなく母親目線で観ちゃうなぁとかってあると思う。私は今回怪物を観ながら『学校側』の対応を、自分に置き換えて観ていた。私も何か事が起きたら『企業側』として対応していく立場なんだよね、って。
今回、ストーリーを追うのに精一杯で、細かいところはあまり見えていないように思う。できればもう一度見直したいし、原作も読んでみたいな。

誰が怪物なのか。本当に怪物なのか。人間から怪物になったのか。私にはよくわからない。最初は確かに、みなそれぞれ大事な誰かのために、という気持ちだったはず。いつまでも心がザワつく作品だ。