knock on wood

日々の記録帳

2023/3/16

休暇なのでゆっくり目に起きる。昨日の夜塗ったトップコートがヨれていなくてよかった。
今日は、以前同じ会社で働いていた友人との3年ぶりに会う。銀座で少し高めのランチ。12時に待ち合わせ、5時までほぼずっとお喋りをしていた。環境は大きく変わり、私は勤め続けて総合職となり収入も増えたけれどそれ以上に責任や仕事の量が大きく増えた。彼女は三人のお嬢さんが全員結婚し、孫が二人。仕事は週3程度のパートを続けている。それでも共通の話題もあるし、お互い高齢の母親がいたり、話すことは途切れず、そして何を話しても楽しい時間だった。それは嘘ではない。けれど、「楽しかった~」の一言にはできない複雑な気持ちが残り、それから今もなおずっと考えている。
数少ない友人、知人との時間は刺激を受けることも多いし、どの人とも「楽しかった」以外の気持ちは多少なりとも残るけど、彼女の場合それの思いの強さというか、深さが違う。
彼女は少し年上の友人で、美しく(大塚寧々さんみたい)背が高くスタイルが良い。優しい夫と、娘三人を育て上げ今は孫が2人。実家も嫁ぎ先も裕福。シビアなおところもあるけど、優しく面倒見がいい。だから人気もある。他にも書ききれない良いところがたくさんある。話をしていてそれをひけらかしてくることもないし、嫌みっぽさもない。裕福で綺麗な人特有のような素直さ、無邪気さがある。
そんな彼女と話したあとはいつも、何とも言えない気持ちになる。それを上手く説明できないけど、もちろん良い気持ちではなくネガティブな感情。
その都度、どうして私はこんな気持ちになるのだろう。何を言われたわけでなく、傷つけられたわけでもないのに。そんな、これまで何度となく考えた時に出していた結論は「私の嫉妬」。私は彼女を羨んでいる。けど今回、その結論でも何かが足りないような気がして、じゃあどうして嫉妬するのか。そして私が嫉妬しないケースはあるのかずっと考えている。
私には私の良いところがあり、私を評価してくれる人もいる。私を好いてくれる人もいる。私を可愛いと言ってくれる人もいる。
それなのに人と比べて、人を羨んでしまうのは何故か。羨ましいと思った「それ」を本当に心の底から欲しているのか?そんなことはないように思う。
例えば、私は彼女の夫や娘たちのような家族が欲しいと思っているのか?そんなことはない。同じ顔、同じスタイルになりたいか?そういうことじゃない。
私は彼女(や、その他の友人たち)の、自分を偽らず、卑下せず、素直で、分相応を知っているところ、要するに内面に強く憧れ、羨ましく思っているのではないかと思う。そして自分が自分を偽らず、素直に、分相応を知り、今の自分に自信が持てないのは、結局のところ自分の欲しいものを手に入れるために真剣になれていないからではないかと思った。心の底から欲しいくせに、そこまでの道程をめんどくさがったり、中途半端に「いいな~」って言うだけで動かなかったり。
自分を責めたり、自分を落とすといった気持ちは毛頭ないけれど、何事もその根幹は自分の中にある。
欲しいものがあれば死ぬ気で手にいれようともがけばいいし、それができなかったとしても、いけないわけじゃない。ただ、その事実を受け入れる強さは欲しい。
そんなことを帰り道から今日にいたるまでずっと考えている。この年になって情けないけど、これが今の私だし、抜け出せる自信はない。