knock on wood

日々の記録帳

新しい時代

今年のGWはなんと10連休!とずいぶん前から楽しみにしていましたが、2月の終わり頃から雲行きが怪しくなり、3月には連休中も仕事することになるのかな、なるんだろうな、と確信に近いものとなり、4月にはGWもやや半分は仕事ということが確定しました。なんだよ、もう。
そんなわけで平成の終わりも、令和が始まってすぐの今も普通に働いております。それでも、半分はお休みできるわけなので、毎週末の休みとは気持ちも違うし、遠方の友人にも会うことができ、そのへんは満足。
この遠方の友人っていうのは、もともとはインターネットで出会った人で、確か初めて会ったのは2002年だったかな。かれこれ20年近くほぼブランクなく年に数回は会って、話して、お酒飲んで、笑って、お酒飲んでたりします。大抵はイベント絡みなので、そういったイベント類に行く情熱もよく20年近く続いているよね?という話でもあるんだけど。

それでもやっぱり以前に比べると熱は冷めてしまったし、正直体力的にもキツイとか(夏のお祭りとか無理と思うわ)いろいろあって、普通に「久しぶりに顔見に行くわ」とか「気分転換に遊びに行く」なんてことも増えてきました。

さて、それでも私の中では『ネットで知り合った友人』というハードルがあり、楽しいこと、いわゆる萌え的なこと、最近の興味、なんて話はしても、悲しいこと、悩ませること、辛い話題なんかは、話すタイミングが難しくて、ついつい「今、話さなくてもいいか」と、胸に閉まって終わりにしていました。

そんな友人のひとりと、今回たまたま2人だけで会って、自分の身の回りのことや、家族を失くしたことなど、ここ一年くらいの出来事を「実はね」と話したところ、どうして言わなかったのか、友達じゃないか!と怒られてしまいました。今となれば本当にそうだなと思う。私は本当はずっとこの人に自分のことを話したかった、本当はすぐに話したかった、それは私も彼女を大事な友達と思っているからじゃないかと。私が逆の立場だったら、多分気持ちはわかると思うけど、でもやっぱりすぐに話してもらえなかったは、悲しいとか寂しいと感じただろうと思う。そう思うと、本当に彼女を傷つけたし悪いことをしてしまった。

出会いのきかっけがインターネットで、という人は何人もいて、ここまで書いた友人のように、最早ネットを介することもなくなった人もいれば、時々は会えるけど基本はネット上で遊んでもらう人、一度も会うことなく、けれどネット上での付き合いは長く続いている人、ネット上でその存在は認識しているけどほぼ声をかけることのなくなった人等々いろんなケースがあります。あとは、今はどこでどうしておられるのか?という人たちは、本当に数えきれないほどいて、どうしているのかな?と時々ふと考えるけど、でも奇跡的にその人とコンタクトが取れたとしても取り立てて話したいことがあるわけじゃない。わー、元気だったんだ!懐かしいね!…………シーン。。。。となるだけってこともわかってる。でも、私はかなり古いメールアドレスを解約できずに今でも持っているし、特別話題がないくせにこうしてブログを継続しているのは、どこかでそんなことを期待しているのです。

10年前、20年前と同じような気持ちではしゃげないこと、夢中になれないこと、元気がなくなったことを寂しいなと思っていたけど、今回「どうして話してくれなかったのか」と言われ、過去を失ったわけではなく、新しい時間が始まっていることに気が付いたように思います。気付くの遅いよね。