knock on wood

日々の記録帳

自分の外側(対他人)に向けての気持ちは、楽しい思い、楽しみな思いがたくさんあるけど、自分の内側(対親族)に向けてはイライラとすることが多い一日だった。イライラというよりも、歯痒く辛いといったほうが正しいかも。家族や親しい人に対して私は理想像を持ちすぎなのかもしれないな。こうであってほしい理想のようなものがあって、そうでないことを「かわいそう」と思ったり、それに対して自分の力が及ばないとなると本当にイライラして辛い気持ちになる。当人は別に困っていなかったり、受け入れていたりするというのに。
私は、林真理子の「本を読む女」という本が好きで、何度か繰り返し読んでいるのだけど、この作品の主人公の考え方が自分とよく似ていて驚くし共感するし反省もする。作品の中で、成長した主人公はある日自分の母親が老けたことに気付くシーンがあるのだけど、そこで主人公はすごく怒るんだよね「どうしてお母さんは勝手に年をとってしまうのだ」って感じで。ちょいちょいそういうシーンがあって、ものすごく理不尽なことだと思うけど、私も同じような気持ちになることがあるなって、この本を読むたびに思うんだ。多分、世の中には私のほかにも似たような人がたくさんいるんだと思うけど、私もそうだし、みなそういうことを率直に言葉にはしないから(なかなかそういう話はしないしね)、この本を初めて読んだ時は、なんか妙な高揚感があったな。
親しい人に対しての理想像は、いつかなくなるかな?と思っていたけど、そうでもないなー。これはもう自分が本当にひとりになるか、もしくは新しく家族の核となるかしないと駄目なのかも。そうなっても変わらない気もしないでもないけど、でも人のことでイライラしていると思ってるけど、しょせんは自分のふがいなさみたいなものを悔しく思っているだけなのかもね。