knock on wood

日々の記録帳

高校の同級生の一人の消息をネットで知りました。
彼は、男子からも女子からも、気軽に下の名前で呼ばれるような人で、誰とでも話をするし、何事にも適当に付き合うところもあって、一見、調子の良い奴!という感じを受けるのだけど、時々妙に熱くなるところが印象に残っています。私は意地悪なことを言われたこともあるし、横暴な態度を取られたこともあるけれど、その都度文句を言いながらも、私は彼を好きだったと思う。当時は恋をしているとか片思いだとか、まして付き合いたいとも思っておらず、今も同じように思うけど、でも私は彼を好きだったと思う。そうそう、昔流行った斉藤由貴の「卒業」という曲を、大人になってから改めて聴いた時、『いたずらに髪をひっぱられ、怒っている裏ではしゃいだ』という歌詞に、彼を思い出しました。学校ではよく話をしたし、席替えのたびに、「お前はここ」とか言って勝手に自分の近くの席にするから、クラスの中でもいつも近くにいたんだけど、それは本当に学校の中だけのことでした。放課後なんかの学校外では一言も話すことがなくて、それはもう見事なくらいはっきりと区別されていて、学校外での彼の生活を私は何ひとつ知りませんでした。当時は私も学校が終わるのを待ちきれないくらい外の世界に憧れていたので、そのことに何も思っていなかったけど、今から思うととても不思議です。三年生になって私は大人の世界への憧れがピークになって、受験シーズンで授業が少なくなったことも影響してか、あまり学校にも行かなくなって、彼もまたあまり通学してこなくなって……そのまま卒業式を迎えて、そこに彼の姿はなくて、その後はたまに噂を聞いたこともあったけど、どれも「○○らしい」という推測の域を出ないものばかりで、そのうち彼の話をすることはなくなってしまったし、そのクラスメイトとすら私は連絡を途切れさせてしまったので、本当に本当に彼のことは何もわからなくなっていました。
それから何年もたって、つい最近、偶然にネットの中、とあるBLOGで彼の名前(本名)を見つけました。個人のサイトではなく、ある事業のHPに付属するBLOGだったので本名で記事をあげていたんですね。そのBLOGの中でごくたまに「雑記」として彼の個人的な言葉が載せられることがあり、家族や娘という単語を目にした時に、長い時間が経ったのだなぁと思わずにはいられなかったです。雑記のひとつに、外国で買ったコートの話があり、それは何年か前のある冬に彼が買ったコートを自分の部下が今は着ているという記事なのだけど、その中で『30歳の誕生日をボストンでむかえた。厳寒のこの地で見つけたコートは自分への誕生日プレゼントとなった』とあり、私は彼と出会って10年以上経った今、はじめて彼の誕生日が冬だったことを知りました。本当に私は彼のことを何も知らなかったです。