knock on wood

日々の記録帳

長い付き合いの友人と口論になった。
彼女はもう長いことうつ病で苦しんでいて来月また入院するという。
私も今年はあまり調子が良くなく、人の精神状態に流されるというか、うつるというか……。とにかく電話で話すぐらいならまだいいけど、面と向かって病気の話を聞いたり、彼女に対する言葉づかいを気にかけたりするパワーが不足しすぎている。
だから「会いたい」と言われても「ちょっとごめん、無理」と断ってしまった。この時に、嘘をつけばよかったのかもしれない。忙しいとか、仕事とか。これまでそうしてきたんだし。でも何故か今日は、別にいいや、っつーか、真面目に私も弱っているから嘘を付く余裕も気を使う元気もなかったんだよね。でも、なるべく丁寧に会えない理由を言ったつもり。
で、その理由を聞いた彼女は、「じゃあこれまでずっと気を使って付き合ってたんだ」と怒ってしまったのです。
ええ。はい、そうです。私、ずっと気を使ってきました。これからも変えるつもりはありません。そしてそれは私の中では『思いやり』という言葉で表す感情のつもりだったのです。
この数年、彼女からの電話は常に体調が悪いという内容ばかり、会った時も病気の話ばかり。そんな人に対して気を使うことは私にとっては当たり前のことだったんだよ。安定剤、睡眠導入剤を何種類も飲んでいるのに飲酒をする姿などを見てしまえば、ちゃんと帰宅できたのか心配だし、頑張っている人に頑張ってと言ってはいけないよなとか、いろいろ気を使ってきたよ。
そんな私に彼女は、これまで同等じゃなかったんだ、とか、気を使われてたのか、とか、その他いろいろ言っていた。私は私で自分の思っていること……友達はすべからく同等でなければいけないのか?弱っている時に元気な方がカバーするという関係でもいいのではないか?とか、こうでなければならないなんて形は私の中にはないし、私はこういう付き合い方しかできない等々を話した。で、今日初めて気を使わずにストレートに「会いたくない」と言ったら彼女は怒ったわけだ。【気を使う】という表現は、嫌う人は嫌うし、私もよく知人から「家族内で敬語?気使いすぎじゃない?」と言われるけど、私にとっては、やっぱりそれは思いやりのつもりなんだよね。とはいえほとんど無意識だから押し付けかもしれないけど。
まあ、友人とはその後落ち着いて話ができた。多少の気まずさはあるものの、様々なことに対する考え方が違っていることを知ってもらう良い機会だった。だけど、私がもっと早くそれを伝えていれば彼女にあそこまで言わせなくてすんだと思うと、それは本当にごめんねって思う。