knock on wood

日々の記録帳

somewhere

(記事の後半にネタバレあるよ。まだ公開前の地域もあるみたいなので一応書いておくね。)
去年の7月から気になっていた、ソフィア・コッポラの映画「somewehre」をやっと観に行った。キャストや予告編を観た時から「きっとすごく好きなんだろうな」と思っていて、その予感が当たった場合にしばらく呆然としてしまう(映画の世界から抜けられない感じ)という怖さもあって、映画館の大きなスクリーンで観ないほうがいいかもしれないとまで思ってたんだよね。もちろん、こういう予感の全てが当たるわけじゃなく、不発な時もいっぱいあって、その代表が「かもめ食堂」なわけです(何度もこういう例に挙げるのが申し訳ない)たぶん、紙一重なんだよね。
「somewehre」も実は映画が始まった瞬間や、終わってすぐは、不発組かな?なんて思ったんだけど違った。時間が経つごとにじわじわと心に広がるなんともいえない気持ちが止められない。愛しさのような、なのに孤独感のような、普段は目を背けているけど誰でも必ず持ってると思えるでも言葉にできない気持ちが広がって、そして心の底に落ちては溜まってゆく感じ。
映画のスジはとても簡単。享楽的に日々を過ごす人気俳優には離婚した妻と、その妻と暮らす娘がいる。ある夏、俳優は普段は別れて暮らす娘と数週間をともにする。そしてまた訪れる娘との生活の終わりの日。俳優は自分の中で変わっていった気持ちに自分でも気付かないまま、それでも少し前までのバカ騒ぎの毎日から決別しようとする……。みたいな感じ。だから映画のラストは決して暗くなく、新しい未来を予感させるものだったというのに、わたしはその未来を信じきることができない。そういう寂しい気持ちと、あとは映画の中の父と娘の短い日々を愛しく思う気持ち。この週末はこんな気持ちの中でぼんやりしてました。そもそもこの俳優さんがかなり好きなんだよなぁ。